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もう手遅れでした
わたしのとりとめもない雑記が 書き連ねられます。 読者への配慮とかはないです、と予め宣言。        (でもツッコミはご自由に)
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「フラッシュフォワード」 ロバート・J・ソウヤー

の感想って書いたっけ?

なんか書いた気もするけど、まあいいや。

ある実験をしたら、
世界中の人の意識が
数分間だけ21年後の未来に飛んでしまった!
というSF。

見た未来は変えられるのか、変えられないのか?
自由意思や運命をテーマに据えた良作でした。


*********************

それでなんとなく思い出した話。


主人公のロイドが他の人と議論するシーンがあるのだけど、
相手は多世界解釈を持ち出して、
例えばある道を右に行く自分も、左に行く自分もありうると説く。
どちらも選びうるから自由意思は存在するのだと。

でもロイドは多世界解釈こそ自由意思を粉砕すると言う。

「多世界には序列がない」。
わたしが選ぶ道は、もうひとつのバージョンのわたしが選ばなかった道。
相棒が右に行けば、わたしは左に行くしかない。
わたしが右へ行けば、相棒は左に行くしかない。

「この宇宙でわたしがくだした選択こそ本道であり、
 もうひとつの選択肢はただの代案だから
 べつの宇宙へ送られるべきだと考えるのは、
 よほど傲慢なやつだけだろう」

多世界解釈だと選択が可能だ、
自分の意思で選択できるんだという幻想を与えるけど、
実際には完全に決定論的なものであると言う。

そうなんだよねー。

未来は決まっていて
決められた運命を動かされていんだと考えると
自由意思がないことになってしまう。
だけど、
何を選んでもその分だけ
無限に分岐世界が枝分かれして広がっていくんだと考えると、
なにを選んだって等価なわけで、
よくよく考えたら自由意思を否定している世界観なわけだ。



まあ、自由意思がなかったとして、別に困るわけじゃないけどね。
運命だって多世界だって、どうせ見えないから。
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